天職

かなり前に長崎へ旅行へ行きました。夜景が一望できる旅館のベランダでパイプを吸い、ウイスキーをちびちび飲んでいる間も夜景は一定の動きを繰り返す。星は輝き、家々の明かりはついたり消えたり、車のヘッドライトが坂道を登ったり下ったり。

 

その時、頭に雷が落ちたように何かが閃きました。私が見ているこの光景は、地球という一つの生命体そのものなのではと。私を含め存在する全てのものが全体の一部であり、その一部で全部が構成されている。そして、それが拡がったものが地球であり、宇宙であると。

 

それぞれがそれぞれの場所でやるべきことをやり、光を与えたり、暗闇に抱かれたり。全てのものは収まるところに収まり、必要だからそこにある。そして、意識しようがしまいが、誰かの役に立ったり、必要とされたり、ただそこにあるものだったりもする。

 

これって仕事に通じるところがある気がします。初めは自分が必要だから始めた仕事でも、いつの間にか誰かの生活を支えていて、その仕事がないと世の中はまわらなかったり、不便になったり。

 

各々が各々の場所で輝き、流れに任せて変化する。皆んなそれぞれその時の天職に就ている。つまり、何を仕事にするかは然程、重要ではないのかもしれません。何故なら人は誰かに必要とされることを、どこかでしているだけだから。

 

”職業に貴賎なし”の意味が、口に含んだウイスキーと共にスッと私の中に入った夜でした。

勉強、進学、就職・・・ 誰を見て?

気が付けば半世紀を生き、アラフィフっていうグループに所属するようになりました。

 

そこで少し人生の振り返り。両親は既に他界していますが、そもそも子供にそこまで関心は高くなく、勉強しろとか、人生どうするかとか言われた記憶はありません。

 

でも、勉強はしたし、進学もしました。結局、周囲がしていると、自分もするんですよね。今思うと、全ては何者でもない自分を支配する漠然たる恐怖からというのが本当のところでした。周りがしているようにする、いや、正確にはそれしか戦い方が分からないので周囲に従う。同調圧力っていうものなのでしょうかね。

 

いろいろ経験した今なら、違う戦い方をするかもしれませんね、人生の目的地が定まっているし、そこへ到達する為の手段も私が育った頃に比べれば格段にあるので。

 

でも、そのような生き方を今更どうこういうつもりもないし、後悔もありません。それしか戦い方を知らなかったから、その方法を出来る限り行なった、それだけです。でも、今かつての私と同じようにもがいている人たちには、違う方法でも目的地に到達できるとは伝えたいですね。選択肢は他にもある。

 

結局、漠然たる不安はどこから来ていたのでしょう。一言で表すと、将来への不安、具体的には金銭的不自由によるものが殆どだったと思います。でも、経済的自由を手に入れるにはがむしゃらに働くしかない、だって周りもそうしているから、というのが真実に近かったしょう。

 

私は東北の割と大きな都市で生まれ育ちました。しかし、田舎は田舎です。今だから的確に表現できるのですが、小さい頃から息が詰まるような窮屈さを感じておりました。いつかここから出て自由になりたい。それを実現する機会は大学進学で訪れました。

 

大学進学で上京し、東京で就職。当時はそのような認識はあまりありませんでしたが、世間でいうところの就職氷河期でした。しかし、無謀にも一つの業界しか受けず、総合商社に職を得ました。

 

その理由は単純で、30歳で1,000万円に到達する業界は、その当時はテレビや広告以外には商社ぐらいしかありませんでした(投資銀行やコンサル、外資系企業が活躍するのはそれからかなり後です)。

 

仕事で相手にするのは海外のサプライヤーで、海外出張も多く、あっという間に田舎のことは忘れました。しかし、見かけ上は恵まれた環境でも、不安は付き纏います。世間的に割の良い仕事でも、金銭的自由からは程遠い。

 

新人の私は島の末席に座っており、島の頂点には課長、島から離れた単独デスクに部長が座っておりました。私の席から課長の席へ行くには平均で約20年、部長の席に行くには約30年という膨大な時間が必要です。しかも、それでも金銭的自由には届かない。

 

軽い絶望感に見舞われ、人が定年まで働き続けないといけない理由が鮮明に分かりました。日本で良いと言われる仕事を得ても資産家にはなれないし、経済的自由も手に入れられず、将来の不安を拭えないまま働き続けるしかないという残酷な真実。

 

程度の差はあれ、日本国民は皆んな同じような見えない鎖に繋がれ、税金を納める奴隷として働くしかないという現実を理解しました。しかも、国家は国を挙げて、真面目に勉強し、少しでも良い企業に就職し、そこで出世するのが成功という夢を描きます。

 

その夢を描いているのが、国の最高峰の学府を卒業した官僚なのですから、これは救いようがない。でも、そのように勤勉に、長く、真面目に働く国民を増やすのは国にとっては都合が良い。税収が安定しますからね。

 

たまたま自分が好きなことが仕事となり、苦もなく一生続けていける人たちは幸せでしょう。でも、殆どの人にとって問題なのは好きなことが見つからないという、それ以前の問題。そうなると戦い方は周囲に合わせて、相対的に勝ち抜いていくという割の悪い戦略になる。かつての私を含め大多数の人たちはこのグループなのでは。

 

では、どうしたらこの負のスパイラルから抜け出せるのか。どうしたらこの見えない鎖を断ち切れるのか。まずはこの社会の構造を俯瞰で理解することから始めましょう。そして、経済的自由へは塾へ行って勉強し、良い学校へ入り、有名な企業に就職することだけでは到達できないと知りましょう。

 

逆に、塾へ行かずとも、良い学校へ行かずとも、有名な企業に就職せずとも到達出来ると知りましょう。方法は如何に効率的に肉体的労働を資本へ交換していくかなのですが、話が長くなったので、具体的な方法はまた別の機会に。

 

 

 

 

 

 

本当のことって言えないもんですね・・・

人には親しい人にも言えないことばかりですね。

 

いつもどこかに不自由を感じていました。常に謙虚に振る舞わないといけない、そうしないと嫌われて周り回って不利になるかもしれないから。きっと皆んなそうなんでしょうね。だから、結局、本当のことは分かりづらいまま。

 

でも、どこかで本当のことを言いたくなり、こういう場を人は探し求めるのでしょう。そう、私も。

 

これから自分に起きた数々の事柄をここでは正直に伝えようと思います、何も隠さず、忖度なしに。

 

自己紹介が遅れました。私はSunk、40代で所謂FIREした人間です。これまで色々なことがありました。それを赤裸々に、思いつくままに書きたいと思います。

 

時間があるときに読んでいただけると嬉しいです。